玉縄番匠址

七曲坂への道の入口、小坂邸「長屋門」のあたり

玉縄城や鶴岡八幡宮など城郭寺社の造営修復の大工さんの組織があったところです。玉縄番匠は、玉縄城の建造物や武家屋敷の建築を行い、1500年代には玉縄城二代北条為昌や三代綱成の命を受け、鶴ヶ丘八幡宮の大修復に当ったことが八幡宮の「快元僧都記」に残されています。