悪いおじさんの教育論
-穴の奥には
注、これは玉縄城址まちづくり会長 荒井 章(詩人あらかみさんぞう)が
詩の専門誌「詩風」に発表したものです
2019/10/07
―どうだ この洞穴 探検するか
この穴は奥が深い 中がどうなっているのか 実はよくわかってない
どうだ それでも入ってみるかい ときどき戻って来ない子もいるけどね
どうする 入ってみるか やめておくか?
黒々とあいた洞穴の前で私がけしかける ・・・
―今年1月2月3月 私らが運営する鎌倉・玉縄龍寳寺の重文古民家と民俗資料館に、春休み前の体験学習で見学にきた鎌倉の小学三年生984人の生徒がいちばん
エキサイトするのは この苔むした岩陰にある洞穴の前に立ったときだ
子どもがやっと立って歩ける高さの穴 鎌倉の歴史の闇が目の前に迫ってくる
―入ってみたい?しかし怖いよな
何がいるかわかんないし 穴がどこまで深いのかわかんないし怖いよな
先生には危険なことはやってはいけない とも言われているんだろう どうする
どうする? 入るか やめておくかー? と追い打ちをかける
このとき子どものなかに欝勃とふくらむ心がある それを打消そうとする心も動く
入ろうか 止めようか 行くか 行かぬか やるか やめるか
決断の岐路に立つ(それを体験させるのだが)
そして一瞬 子どものなかから
張りつめた緊張を打ち破る奇声があがる
一人が叫びながら先陣を切ってとびこむ
するとナダレを打つように 迷っていた子どもたちが「穴」に突進していくのだ
(ひとり まだ様子をみている子をのぞいて)
・・・これが
おじさん提供の
体験教育の一つである
やるかやらぬか いくかいかぬか 左か右か そのどちらかを
誰でもない自分が判断し 自分自身が決めねばならないのが 人生だ
暗い穴の奥 そこになにがあるのかわからない わからないから惹かれる
未知の体験だからこそ激しく惹かれる おなじ理由でなんだか危険の予感もする
さあ どっちを選ぶか
誰にも教えてもらえない 自分で決めねばならない
しかし決める勇気がない 誰かの指示がないと動けない
自分では飛べない 誰かにグライダーのように引っ張られないと飛べない
だが一人の乱暴な子がいる 誰の中にもその子がいる
それが危険な選択肢を選び 未知の穴に自分から飛び込んでいくのだ
こういう一人のヤケッパチな暴挙が 人を動かす こういうイノチ知らずが
ときに闇を払う 時代を引っ張る 文明をブレークスルーする
確かに多くの場合は毒蛇に噛まれたり暗闇に呑まれて帰らなかったりという
教訓の材料にされるだけだが・・・。
《さあ、あなたは、この穴のなかに真っ先にとびこみますか?
それともやめておきますか?
まずはとなりの人の顔色を伺って皆が行ったら、その後についていきますか?
それとも最後まで傍観者でいますか?》
・・・
この洞窟と子どもの写真をつけてネットに出したところ
たくさんの友達 とくに女性の友達から勇敢な(無謀な)
反応があったのは意外であった
― やっぱり覗いてみたい!
― 私は奇声をあげて 入って行くでしょう
しっかし(さんぞうさんは) 面っ白くて 悪~いおじさんですね(笑)
―(私の返信)さすが 二人とも素晴らしい!
もし 世界の未知の「穴」を前にして尻込みしたり となりの人の顔色をみていたり、先生はイケナイとおっしゃったからとかいって 見て見ぬふりしようとする
「いい子」や「若年寄」ばかりになったら、人類の未来はどうなる!(笑)
―あのね 子どもが人間として成長する場には
二つの相反するロールモデルが必要だろうと思います
規律や良識を教える側があるなら その対極として発想や行動の自由奔放を
尊重する側の存在が不可欠である そういうマジメと不マジメ 常識と反常識を代表するような相反するロールモデルがあって そのどっちを選ぶか選択肢を手渡されるときにこそ 自律的な判断が子どもの個のなかに動き出す
ペットのしつけじゃないんだから 単純で矛盾のない指示を反復すればいい
というものじゃない それだけでは「洗脳」されることはあっても人間の「成熟」を促すことはできない 私ですか?もちろん子どもにとって まちがいなく不マジメ、反常識な方の、悪いおじさん型のロールモデルですがね アハハハ
子どもはね、ここで体験したことのない未知を目の前に
危険だから行くなという声と危険だからこそ乗り越えて行け
という相反する声を聴いて身もだえするわけね しかし子どもはやがては気づくのです二つのロールモデルが違う言い方で一つのことを言ってるんだ「成長せよ!」とね・・・この暗い「穴」を探検すべきか やめておくか その問いに引き裂かれながら 一人の人間として自分自身の選択を迫られる ここが人間的成長の水際なのです・・・
YS よくわかる!でもそっち側の先生はいま生き残っていけないんじゃないでしょうか
ええ デジタル社會の教育の場において 生きた人間のもつ「ゆらぎ」は
変な先生として無用なシステムバグとして排除される運命です だからこそ人間より
システムが優先されるそんな社会だからこそ そんな社会を生きねばならない子どもたちに いまもっとも人間的なコーチングが必要なのではありませんか
さあ、いまが決断のときです
「穴」にとびこんで行きますか?行きませんか?
三秒で決めなさい
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