今の玉縄のまち
鎌倉の表玄関、大船駅南口を出る。目の前に大船観音、柏尾川沿いに 首塚、県立フラワーセンター、ショッピングモール、そして栄光学園、 清泉女学院がある。ここは今、鎌倉の北の文教住宅地です。
忘れられた玉縄城
この地の緑の龍脈の頂きに、ただ一つの鎌倉の城、玉縄城があったの です。戦国時代その玉縄城は、北条早雲が「民のための国造り」をめざし 相模、三浦、関東全域を経 略するために築いた城であり、名君の呼び声も高い玉縄北条氏六代に よる「四公六民」の善政の地ともなって鎌倉の人々を守りました。
しかし、関東の三名城とも謳われた玉縄城も、今はただ清泉女学院の 敷地とその周囲地域に遺構として残るのみ。鎌倉市民の記憶からすっかり消えようとしています。
私たちは、この私たちの足元に隠された有形 無形の歴史文化資産を守らねばならない。次の世代に伝えていかなくて はならない。それがこの地域のまちづくりの優れた資源になると考えて います。
ランドマークの復活
そこで私たち玉縄城址まちづくり会議は、鎌倉に「もう一つの魅力ある まち玉縄」をつくるため、失われたランドマーク玉縄城に光をあて、 その素晴らしさを再発見することにしました。
緑と歴史の龍脈のなかの 玉縄城址を玉縄のランドマークとするまちづくりプロジェクトを進める ことにしました。 文化財保全とまちづくりを市民行政の協働によって目 指そうとしたのです。
その結果、いつのまにか、いろいろのことが達成していました。
七曲坂の市道整備が実現しました。玉縄城の貴重な遺構である太鼓櫓址 を鎌倉市の「植木1号市民緑地」として誕生させることが出来ました。 玉縄ふるさと館をリニューアルオープンさせました。玉縄歴史アカデミア 連続セミナーを18回重ねることも出来ました。玉縄の郷土資料コーナー 展示も当会が継続、また広報紙の玉縄城まちだよりも12号を数えています。
玉縄フィールドミュージアム
私たちは里山復活活動の究極の目標を「玉縄城フィールドミュジアムの構築」と定めました。 築城当時の広大な城域に残された歴史遺構の「点」と「点」の保全整備に当り、それを「線」につなげ 、往時を偲んで歩くコースづくりを行うものです。例えば、大船観音寺、フラワーセンター、龍寳寺 、玉縄ふるさと館、歴史の道七曲坂、七曲坂平場、太鼓櫓市民緑地、玉縄城大手門、諏訪壇、けまり場。 さらに、桐ケ谷戸池から関谷の大畑作地帯を含む「城域ミュジアム」の構想です。
「ボランタリーの汗をかけば、何かが起こる」ことを証明してきました。 皆さま、今度、ご一緒にやってみませんか。
楽しんで、何かを起してみませんか。
私たちは、このボランティアが面白いからやっています。
玉縄城址まちづくり会議です 。