蹴鞠場

江戸時代の書物『新編相模風土記』には「諏訪壇その北に続きて、麻里計場(蹴鞠場)等の名あり」と書かれており、その「諏訪壇の北東側の四角ばった平場」こそ、全国的にも珍しい玉縄城の「蹴鞠場址」です。

ここは玉縄の歴代城主が「蹴鞠」をした場所。強力な軍団を率いる城主(や姫君たち)が一方では雅な遊びを楽しんでいた。文武両道の玉縄北条氏の特長がここにもよく現れています。

 

 


玉縄城址まちづくり会議は、この蹴鞠場址の保全活動を進め平成27年5月には、ご覧のような全体像を明らかにすることができました。

(我々は将来、蹴鞠場の再興を考えています)