駅ハイ ⑧二伝寺
西の守りの要 二伝寺(二伝寺砦跡)
浄土宗の寺院。山号は戒法山。
玉縄城から約800m。地侍の福原氏が建立した寺院で、玉縄城主 北条氏時によって西の守りの要となる砦になりました
<二伝寺 HPより引用>
村岡城は歴代城主など不明な点が数多くありますが、現在、城趾公園が二伝寺の南西にあります。
鎌倉幕府成立後の村岡は、鎌倉の北の入りロとして交通の要所となりました。当時、二伝寺の前は鎌倉街道となっていた為、新田義貞の鎌倉攻めの時などは合戦場となったりもしています。
二伝寺は、開祖が北条(小田原)ですが、良文三代の塚や北条滅亡後の玉縄城主松平正次一 族の墓があるなど、村岡・玉縄周辺の歴史に深く関わっていた事が伺われます。
鎌倉幕府成立後の村岡は、鎌倉の北の入りロとして交通の要所となりました。当時、二伝寺の前は鎌倉街道となっていた為、新田義貞の鎌倉攻めの時などは合戦場となったりもしています。
二伝寺は、開祖が北条(小田原)ですが、良文三代の塚や北条滅亡後の玉縄城主松平正次一 族の墓があるなど、村岡・玉縄周辺の歴史に深く関わっていた事が伺われます。
二伝寺 公式HP https://nidenji.or.jp/